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神社巡り本日も、西条市でカレンダーを配りました!
西条市大町まで来ましたので、楢本神社にお参りさせて頂きました
昭和19年10月25日、初の神風特攻隊「敷島隊」の5人が
祀られてます
「敷島隊」の隊長の関行男海軍中佐が西条出身だからです
戦後80年、西条出身の関隊長が命を捧げた日本の現状を
自問し続けることは、今を生きている者の責務と思います
吹揚神社に孫の七五三詣に出かけました
孫もすっかり懐いてくれてます!
三歳まで無事育ったことに感謝です!
さあ、次は五歳ですね!
愛媛不動産情報の名前で、不動産のフランチャイズERAに加盟してます。
中国四国地区運営委員会で定期的に勉強してます。
加盟して25年、中国四国地区では一番古い加盟店です。
勉強会が終わった後も、西山は熱心に本部の方とお話されてました。
翌朝は朝5時に起きました。実は朝型人間です。
朝6時から、岡山県護国神社で開催されてる
岡山市南倫理法人会のモーニングセミナーに参加させていただきました。
講師は、岩田成矢さんで、「可能性は目に見えない」でした。
自分の足元には、気づいてない可能性が転がっているとのこと。
なるほど!もう一度、足元を見つめ直したいと思います。
モーニングセミナーが終わる頃には、夜が明けて清々しい風景でした。
日本を守るために戦没された御霊に感謝のお祈りを捧げて帰りました。
※岡山県護国神社 備前藩の戊辰戦争より大東亜戦争までの幾多の国難に
殉ぜられた御霊を「御英霊」としでお祀りしている
弘法大師母公のお寺 慈尊院を訪れました。
※慈尊院 弘仁7年(816年)に弘法大師が高野山をお開きになった際、
庶務を司る政所として高野山の玄関口に慈尊院を建てられました。
そんな息子の姿を一目見たいと母公が香川県より参られましたが、
高野山は女人禁制にて、この寺に留まることとなりました。
弘法大師さんは、高野山より月に九度、母公を訪ねられたことから、
九度山という町の名前になったそうです。
弘法大師さんのような高僧が月に九度も・・・
慈尊院ご住職様のお言葉
「母なくして子なく 子なくして母なし
大師も御母公あっての大師なり」
日本秘湯を守る会に入会してる龍神温泉「下御殿」に宿泊しました。
約1300年前に、弘法大師空海が開いた龍神温泉。日本三美人の湯の一つ。
※日本三美人の湯 龍神温泉(和歌山県田辺市) 川中温泉(群馬県東吾妻町)
湯の川温泉(島根県出雲市)
さすがに、美人の湯!素晴らしい!
あと二つを湯覇して、美人証明書を手に入れたいです!
龍神温泉に宿泊する前に、熱田神社にお詣りしました。
熱田神社には、三種の神器の「草薙剣」が鎮座されてます。
※三種の神器 天皇家が代々受け継がれてきた秘宝を指します。
八咫鏡は伊勢神宮、八尺瓊勾玉は皇居宮中に鎮座されてます。
伊勢神宮は何回かお詣りしたので、皇居を訪れたいと思います。
皇居と川中温泉をセットにした旅行を企画したいと思います!
三美人の湯と三種の神器を訪ねる「三三ツアー」
永平寺でポスターを見つけました!「永平寺がここにある理由」
私が、永平寺に来たのには理由があります。
北陸新幹線 福井・敦賀開業 2024年3月16日を記念して、
福井を訪れました。
曹洞宗 大本山永平寺 副監院 西田正法氏の講演を聞かせていただきました。
「貪(とん)から貧(ひん)へ」〜生き方の転換〜
その名の通り、「貪り奪う人生から、与え尽くす人生へ」との教えでした。
早速、そういう生き方に近づけるように永平寺にお参りしました。
※永平寺唐門 天皇陛下をはじめとした皇族の方がいらっしゃる時のみ
開かれる門
あのポスターはこの永平寺唐門の前の写真でした。
永平寺 ここに来た理由
の説明でした・・・
先日、宮地嶽神社にお詣りしました。
境内に「嵐」光の道 日本航空 撮影記念植樹の
桜が少し咲いてました。
何故、宮地嶽神社にお詣りしたか?と言うと・・・
昨年孫が生まれる前に、無事生まれますように、そして健康に成長しますようにと
願いを掛け、「うぶすな石」を持ち帰りました。
無事生まれて成長したので、感謝を込めて「うぶすな石」をお返しに行きました。
ありがとうございました!!
孫が、これからの長い人生 「光の道」を歩めますように!
全日本いなり寿司協会は、毎年2月11日を「初午いなりの日」としてます。
初午(はつうま)の日は、1年で最も運気が高まる日と言われいて、
その日に合わせて、稲荷神社のお使いである狐の大好物「お揚げ」を、
いなり寿司として食べることで、商売繁盛・産業興隆・家内安全・交通安全・
芸能上達・病気平癒など様々な幸を願うのが、「初午いなり」だそうです。
ということで、出雲大社お詣りのお土産でいただいた出雲そばといなり寿司を
食べました。
出雲大社にもお稲荷様をお祀りしたお社があります。
出雲大社と都稲荷社、
そして出雲そばといなり寿司、この二つを同時に食べる・・・
ご利益が必ずあると信じてます!!
全国PHP友の会 中四国エリア交流会in山口の次の日
周南市回天記念館を見学しました。
※回天記念館は、太平洋戦争末期に開発、使用された人間魚雷「回天」の搭乗員の
遺書・遺品、関係資料を展示してます。
10月15日日曜日午前9時30分、徳山港より大津島へ出発
9時48分大津島着
回天記念館着。回天一型レプリカが展示されてました。
回天碑の前で記念撮影
入口から回天記念館までの通路に搭乗員や整備員の名前が刻まれた銘碑の中に
愛媛県出身の重松正市氏の名前がありました。
※伊368潜(艦長入江三輝少佐)は、昭和20年2月20日午前
回天五基を搭載して大津港を出航し、硫黄島に向かうが、
2月27日硫黄島西方海域で米軍の爆撃により沈没。
その回天の整備員の一人が重松正市兵長です。特攻隊戦没者慰霊顕彰会資料より
心よりご冥福をお祈りします。
回天訓練基地に行くため、回天運搬用トンネルを通りました。
入口には周南子ども一首がありました。素晴らしい!
トンネルを抜けると、明るい光が空を照らしました。
遠目に見るとこんな感じです。
見学に終わりに、
回天神社にもお詣りしました。
太平洋戦争末期、「天を回らし、戦局を逆転させる」願いを込めて、
人間魚雷「回天」は誕生しました。大津島から窮地に立つ祖国を守るために
自らの命をかけた20歳前後の若者の後世への想いを語り継ぎてゆきます。
最終日は、修善寺に行きました。
歴史的には、源頼朝の弟・範頼が自刃に追い込まれ、
頼朝の子・頼家が暗殺されてますね。「鎌倉殿」を思い出します。
修善寺温泉街には、夏目漱石、井伏鱒二などの文豪が滞在されてます。
たまたまですが、9月27日の産經抄に書かれてました。
「胃病を患った夏目漱石は、療養先の伊豆・修善寺で800グラムもの血を吐いた。
明治43年8月、いわゆる"修善寺の大患"である。手厚い看護を受け多くの人に見舞
われ、一時の人事不省から回復した。こんな所感を残している。
"住みにくいとのみ観じた世界に忽ち暖かな風が吹いた"と 一部略
"余は病に謝した"
修善寺の竹林の小径を散策しました。
円形ベンチに寝そべると
素晴らしい!余は竹林に謝した。
最後は、2日間見えなかった富士山を見るため、三島スカイウォークへ
最後にみんなで記念写真
無事、安全に旅行を終えることができました。
余は富士山に謝した。
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